招き猫の由来と招き猫にゆかりのある神社で開運【開運招き猫】

招き猫がいっぱい飾られています

招き猫の由来 諸説あり

招き猫がいっぱい飾られています

幸運を願う人の招き猫。愛嬌のある顔と前足で福を招く!招き猫の由来は諸説あります。今回はいくつかの由来や発祥の地を追いかけてみます♪招き猫は誰が考案したの?招き猫の名付け親は?招き猫の置物はどこが発祥?いろんな疑問が湧いてきます。

招き猫とは・・・

広義では、招き猫は、前足を顔の横にあげた縁起の良い置物のこと。

中国の唐代に書かれた『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』という書物の中に、「猫が顔を洗い、手が耳を過ぎれば客が来る」との記述があり、これをもとに誕生したのが招き猫と言われています。また、その発祥の地は、江戸時代の江戸とも京都とも言われており、諸説あり、定かではありません。(吉兆笑福亭

おもな招き猫の由来・発祥6つ

1.カカシ的な猫の置物として蚕と農産物を守る

●猫の置物と知られる招き猫ですが、その元をたどると、ネズミ除けであった可能性が。。。

どういうことかというと、いわずとも知れた猫はネズミの天敵です!収穫した農作物や蚕(かいこ)を食べるネズミは害獣として嫌われていました。そして、ネズミを駆除するために、昔の養蚕業(ようさんぎょう)では、猫の置物が縁起物であったとされています。

これは猫がいるように見せかけてネズミ除けに使ったようです。田んぼに、カカシを立てるのと似てますね。

しかし、養蚕が時代の流れとともに衰退してからは商売繁盛の縁起物の意味だけが残り商売人のお守り的な縁起物になったとされています。なるほどという感じです。伝説的なものではなく、実用的な部分から招き猫が発祥したという感じですね。

2.老婆の夢枕に立った猫のお告げ!丸〆猫が発祥

嘉永5年の頃、武江年表に書かれていた丸〆猫(まるしめのねこ)という招き猫の2つのお話をします。ひとつめ。浅草花川戸に老婆と飼っている猫が住んでいました。老婆は食べることもままならぬ日々が続き、貧しさゆえに、渋々、愛する猫を手放しました。

しかし、その夜のこと、老婆の夢枕に手放した飼い猫が現れ、「自分の姿を作り祀れば福徳自在となる」(現代訳;自分の姿を今土手焼の土人形にし、背中に丸〆の印を入れて売るとよい)というお告げを残して去っていった。

老婆は半信半疑だったが、それを実行に移すことに・・・。

その猫の姿をした人形を今戸焼(今戸人形)の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち吉運を招く縁起物として人気となり、利益を得て、老婆の生活が成り立つようになったといわれています。

そして、このことが評判となり、他の者も今戸焼の土人形にして浅草寺三社権現(現・浅草神社)鳥居辺りで縁起物として猫の置物を売り始めたことが招き猫の発祥とされています。(※丸〆猫には、頭に「本」の字が付くものがあり、本家の印とされています。つまり、偽物対策だったようです。)

ふたつめは、「藤岡屋日記」嘉永5年の項で、記されています。浅草観音猫の由来として浅草寺梅園院境内でひねり土人形を生業としていた老夫婦の愛猫が知り合いの飼っていた小鳥をあやめてしまったことに罪を感じて自ら(猫が)井戸に身を投げた。

その後、老婆の夢に猫が現れ、あやめた非を詫び「今後はあなたを守りいかなる病でも全快させる」と告げたそうです。仲間の今戸焼屋がこのことを知って、老夫婦に猫の人形を作り渡しました。老婆はその猫を拝んだところたちまちにして、病が治り、そのことが、浅草寺三社権現(現・浅草神社)鳥居辺りで大評判になったということです。

記録として残る最古の招き猫
丸〆猫は、浅草寺及び浅草神社(三社様)に由来する今戸焼、今戸人形の招き猫ですが、神社ではこのことをいまだ話題としてとりあげていません。

全国に「招き猫発祥の地」と呼ばれる神社仏閣が分布していますが、当時の史実や言い伝えとともに実際に現存する招き猫がほとんどないのが現状です。しかし、丸〆猫は形として現存しています。この伝説については、嘉永五年(一八五二)に制作された安藤広重の版画、「浄瑠璃町繁華の図」の中に、丸〆猫を売る店が描かれていて、実存を確認できる最も古い招き猫だそうです。

多くの招き猫発祥の地で、伝説の域を出るものが少ないなかで、現在までのところ造形物として実在する最古の招き猫、あるいは遡ることのできる招き猫の起源だといわれています。

3.豪徳寺の白猫が招き寄せた奇跡

東京都世田谷区の豪徳寺が招き猫発祥の地とする説があります。

時の豪徳寺の和尚は、一匹の白猫を自らの食を分け与えるほどにかわいがり、常日頃から、「我が愛育の恩を知らば、何か果報を招来せよ」と言い聞かせていいました。

ある日、江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに荒れ寺であった豪徳寺の前を通りかかったとき、この寺の門前で猫が手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄り休憩をすることにした。すると急に雷雨が降りはじめ、直孝は雨に濡れずに済みました。この奇跡のようなことを直孝は大いに感謝し、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進を行い、豪徳寺は盛り返したといわれています。この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったそうです。

違う言い伝えでは、直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていて、不思議に思い、猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。というものです。

どちらにしても直孝が不思議な猫に誘われて感謝したという話に変わりはないようです。

当時の和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて丁重に弔ったそうです。後世に境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られ、これを崇め奉れば、吉運来ると評判になったといわれています。

豪徳寺に売られている招き猫は小判を持っていないそうです。これは「招き猫は機会(チャンス)を与えてくれるが、結果までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考え方があるそうです。深いですね。

4.太田道灌を救った黒い猫伝説がある自性院

東京都新宿区の自性院(自性院は全国各地にあります)が発祥の地とする説があります。ここにも2つの説が言い伝えられています。

ひとつは、江古田・沼袋原の戦いで、劣勢に立たされ道に迷った武将;太田道灌(おおた どうかん)の前に黒い猫が現れて手招きをし、自性院に案内され命拾いをした。これをきっかけに太田道灌は盛り返し戦に勝利し、後に、この猫の地蔵尊を奉納したことから、猫地蔵崇拝から招き猫がうまれたというもの。

もうひとつは、江戸時代中期に、豪商が娘が亡くなり、その冥福を祈るために猫地蔵を自性院に奉納したことが起源であるとするものです。

5.壇王法林寺に伝わる主夜神尊の使い黒猫

壇王法林寺(だんのうほうりんじ)は、京都にあるお寺で、夜を司り、盗賊や火災などの厄災から守ってくれるという『主夜神尊(しゅやしんそん)』を祀っています。黒猫はその使いであるとされています。江戸の中頃より主夜神尊の銘を刻んだ招福猫が作られ、民衆に受け入れられていたという話が伝わっています。

昭和初期に出版された『京都民俗史』という本の中に、「三条大橋東詰の壇王の主夜神の神使は猫で、招き猫を出す。緑色の招き猫で右手を挙げている。そのため、江戸時代には民間では左手の招き猫より作らせなかったと言うことである」とあります。

これが事実であれば、今戸の丸〆猫に匹敵、もしくはそれ以上に古い招き猫ということになります。コチラの招き猫は緑色ではなく全身黒色のようです。もともとは濃い緑だったのかもしれませんね。壇王法林寺のホームページには”日本最古の伝承をもつ黒招き猫”の表記があります。ここのホームページでは全国の招き猫も見れます。

6.うどん県で有名な香川県に空海と招き猫・・・

弘法大師をご存知でしょうか?「空海」といった方が分かりやすいかな?空海は真言宗の開祖です。四国八十八か所を開いたことでも有名です。

今回は、空海から始まる招き猫伝説をお伝えします!

時の朝廷の命を受け讃岐の国(香川県)の灌漑(かんがい)工事に向かった空海は、人手不足や資金難、疫病という難題に直面します。もともと香川県は水不足の県で、ため池の数は日本一多いといわれています。

空海はまったく進まない灌漑工事をなんとか軌道に乗せようと、近くの神社にこもり、祈願をしていたところ、山頂より不意に一匹の猫が現れ、両手を頭より高く上げ、何度も空海を招く素振りを繰り返したといいます。

 

この後、空海の願いが通じたのか、朝廷から多額の御下賜金が加算されたり、人手不足、人夫たちの病も改善し大規模工事は、瞬く間に完成に向かったそうです。このことから「手を招く猫」は招福として評判になり「招き猫」発祥につながったといわれています。空海の時代となると、先にお話しした、いくつかの伝説よりもかなり古い時代になります。しかし、これも伝説の域を出ていない招き猫由来・発祥の一つです。

★この他にも京都市伏見区の伏見稲荷説、東京都豊島区の西方寺起源説などがあります。諸説ありどこが本当の発祥の地か分かりませんが、どれも偽物ではないような気がします。日本各地で同時多発的に招き猫が広まったのかもしれませんね。

招き猫とゆかりのある神社を参拝して開運!

宝くじ当選祈願!招き猫に会いに行ってみよう

【金持神社】

金持神社の招き猫たち

▲金持(かもち)神社の招き猫たち。お賽銭をもらってますね♪

▲金持神社で御祈祷済みのありがたい縁起財布がある。

金持神社は「かもちじんじゃ」と読みます。それにしても、とっても金運ありそうな名前ですね。ココの招き猫は両手上げらしいです。欲張りなのかな?今ではパワースポットとしても有名になっているようです。一度は行ってみたいですね。

【金持神社;住所・アクセス】

〒689-4512 鳥取県日野郡日野町金持74。JR伯備線根雨駅で下車、駅からはタクシーに乗車。車の場合は、米子道江府インターで降り、日野川上流に向かい180号線を15分程行くと根雨の町並みが見えます。町外れに180号線と181号線の分岐ありますので、181号線(勝山方面)を5分上ると参道入り口手前に金持売店札所が見えます。詳細は、金持神社でご確認ください。

【今戸神社】

今戸神社の招き猫

▲今戸神社にある招き猫☆『お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫』

本殿前にはさらに大きな白い招き猫が2体鎮座しています!今戸神社は、七福神や縁結びでも有名です。

【今戸神社;住所・アクセス】

〒111-0024 東京都台東区今戸1-5-22

各線浅草駅より 徒歩15分。都営バス 甲 浅草七丁目下車 徒歩5分 乙 リバーサイドスポーツセンター前下車 徒歩1分。台東区 北めぐりんバス リバーサイドスポーツセンター前下車 徒歩1分。今戸神社HP

【豪徳寺】

豪徳寺の招き猫たち

▲豪徳寺の招き猫群!圧巻!猫だらけ!

豪徳寺では大きさがいろいろな招き猫が販売されています。仏殿の奥にある招福猫販売所で購入することが出来ます。是非、立ち寄って福を持ち帰ってください♪

【豪徳寺;住所・アクセス】

東京都世田谷区豪徳寺2-24-7

小田急豪徳寺駅から徒歩10分東急世田谷線宮の坂駅から徒歩5分 世田谷豪徳寺